2015年12月20日日曜日

東京ドイツ村(木更津)のイルミネーションを見てきました

 
 最初に我が家のささやかなツリーとリースを見てください






ゴールドクレストが大きくなりすぎて、切ることにしました。
大きな枝もあったのに小さくなってしまいました。









今年もお友達からいただいたレモングラスでリースを作りました。
綿の木が今年は値上がりして二倍近い価格でした。

残ったレモングラスを2~3㎝に刻んで紅茶とともに
熱いお湯を注ぎ香りを楽しみました。



11月28日、日帰りバスツアーで養老渓谷・粟又の滝と
東京ドイツ村(関東三大イルミネーション)を見てきました。






養老渓谷・粟又の滝



紅葉には少し早くカメラマンの腕も発揮できないようでした。
透明度の高い美しい水面でした。



添乗員さんのお話では、イルミネーションが年々グレードアップ
しているとか。
豪華絢爛。見渡す限り光の波でした。








虹の回廊・アーチがつづいています









光の渦に囲まれて夢のような楽しい夜を過ごしました。



これから主婦は大掃除、お正月の準備と体力を使いますね。
お元気で、良いお正月をお迎えくださいませ。




2015年11月24日火曜日

極上の時間いい時間・詩の力


 久しぶりに図書館へ行って詩集を2冊借りてきました。

  すこやかに おだやかに しなやかに
     谷川俊太郎 著  佼成出版社
        平成18年1月30日 初版

小冊子ですが全12編で活字も大きく、漢字にはルビが振ってあります。
次のぺーじには花や空など、美しい写真が挿入されています。
その一つ

       いのちの輪

   暴力を前にして
   おののきふるえぬものはいない
   私たちは死をおそれる
   私たちはみな生を愛する

   幸せを求めているものを傷つけて
   幸せになれるだろうか

   なぐればなぐり返される
   刺せば刺し返される
   撃てば撃ち返される
   殺せばあなたも殺される

   あなたのいのちはつながっている
   他のすべてのいのちと


この詩を読んで、いま世界中を動かしている13日の
パリ同時多発テロ事件を思いおこしました。

そして、このとき妻を失いながらテロリストに向けて
フェイスブック上に 「憎しみという贈り物はあげない」と
手紙をつづったパリ在住のフランス人ジャーナリスト
アントワーヌ・レリスさんの言葉です。

   君たちに憎しみという贈り物はあげない
   君たちの望み通りに怒りで応じることは
   君たちと同じ無知に屈することになる

20日、朝日新聞の 単独取材に応じられたアントワーヌさんは

世界中に広がる反響に私のほうが圧倒されている
人々はあの手紙に新しいものを見い出したわけではない
平和や愛、寛容の中で自由に生きたいという思いを
呼び起こされたのだと思う

と話された。

谷川俊太郎さんの詩も、そして私たちの心にある希いも
同質の思いであることを強く身内に感じることができたのです。











もう1冊は

  詩に就いて
     谷川俊太郎 著  思潮社
        発行日 2015年4月30日

見開きの最初の1編です

     隙間

  チェーホフの短編集が
  テラスの白木の卓上に載っている
  そこになにやらうっすら漂っているもの
  どうやら詩の靄らしい
  妙な話だ
  チェーホフは散文を書いているのに
  
  山の麓の木立へ子どもたちが駆けて行く

  私たちはこうして生きているのだ
  心配事を抱えながら
  束の間幸せになりながら

  大きな物語の中に小さな物語が
  入れ子になっているこの世
  その隙間に詩は忍びこむ
  日常の些事に紛れて

 
  あとがき
 
   日本語の詩という語には、
   言葉になった詩作品(ポエム)と、言葉になっていない 
   詩情(ポエジー)という二つの意味があって、
   それを混同して使われる場合が多い。
   それが便利なこともあるが、混乱を生むこともある。
    詩を書き始めた十代の終わりから、私は詩という
   言語活動を十全に信じていなかった。
   そのせいで詩を対象にして詩を書くことも少なくなかった。
   本来は散文で論じるべきことを詩で書くのは、
   詩が散文では論じきれない部分をもつことに、
   うすうす気づいていたからだろう。
    詩も人間の活動である以上、詩以外のもろもろと
   無関係ではいられない。詩を生き生きさせるのは、
   言葉そのものであるとともに、無限な細部に恵まれた
   そのもろもろなのではないだろうか。


私は全く詩を書く能力はありません。
しかし詩情(ポエジー)は抱くことができると思っています。
年を重ねるにしたがって、直接的に表現されるエッセイや
散文よりも、詩に惹かれるようになりました。

そして、心に響く珠玉の言葉に励まされて、落ちこんだ心を
立て直す、詩は精神安定剤になったりもしています。


ベランダに寄せ植えを作ってみました



アイビーや多肉植物です


多肉植物の寄せ植えです

 
チェリーセージとるりまつり


寒さに向かいます。お元気でお過ごしくださいませ。




2015年10月26日月曜日

陶芸作品展がありました


 今年も10月24~25日の2日間 陶芸作品展がありました。

4つのサークルの出展がありました。

ひときわ目立つ芸術作品あり、迷作あり、新しい造形や釉薬
を工夫したり、それぞれのサークルの個性が出ていて
興味深いですよ。まずはご覧ください。













他のサークルの方の作品です
へたの部分が取れるんですよ



マットな釉薬・色彩が面白いですね



ダントツの芸術作品です 玉の数が150個
あるそうです。搬出の折分解を手伝いました



10月11日陶芸サークルで茨城県陶芸美術館へ行ってきました。

大きな作品も緻密な作品も作者の創作意欲というか
作品への思いが込められていて感動の連続でした。

笠間焼大陶器市が開かれていましたが、小雨が降り
人出はまばらでした。



古い町並み

陶器市

左側のゆるやかな坂を上ると美術館へ到着です



10月31日はハロウインです。巷はオレンジ一色ですね。 

千葉の弟の家から貰ってきたかぼちゃと 
多肉植物をかぼちゃのカップに寄せ植えして
アレンジしてみました。





間もなく11月。月日の流れは早いですね。

先日インフルエンザの予防接種をしてきました。

お元気で、食欲の秋・読書の秋・芸術の秋・紅葉の旅など

お楽しみください。









2015年10月4日日曜日

チョコレートコスモスと本との出会い


チョコレートコスモス



シルバーウイークの初日、長男と共に千葉の弟の家を訪れました。
図書館で借りてきた本をバッグに忍ばせました。

コスモスの謎          奥隆善著
 色も香りもチョコそっくり
 チョコレートコスモス大研究

表紙にチョコレートコスモスの写真があり、本文にもイラストが
沢山挿入されていて、チョコレートコスモス研究に
年月を費やしてこられたことが、よくわかります。

幼いころから 庭先に咲くコスモスの花に親しんできましたが
この本によるとコスモスのふるさとはメキシコであること、

世界にはメキシコを中心に26種類のコスモスがあり
日本には4種類しかないこと

その一つは秋にピンク色の花を咲かせるコスモス
次に暑い夏から秋まで咲き続ける黄色い花 黄花コスモス
ちょっと珍しいのがチョコレートコスモス
あともう一つはチョコレートコスモスに似ているけれども
ピンクの花を咲かせるキャンディーコスモスです。

奥隆善さんは大学の農学部に通っていらしたころ
夜や早朝は花屋さんで働き、理論だけでなく実社会で学び
図鑑や百科事典などあらゆる印刷物から学んだ方です。

大学3年の時花屋さんに北海道から送られてきた
チョコレートコスモスに出会います。
透明なセロハンにくるまれたベルベットのような黒いコスモス
セロハンの中に花をつっこんで香りをかぐと
チョコレートの香りがしたそうです。

出会った瞬間チョコレートコスモスの魅力に取りつかれ
研究に没頭されることになるのです。

研究を始めると実際は絶滅危機だったというのです。
種を結ぶことができない種類でした。
長年の実験で、黄花コスモスとの交配に成功し
広く私たちのもとに届くようになりました。


9月29日 ホームセンターの園芸用品を見て歩いていると
立派なチョコレートコスモスの鉢植えに出会いました。
早速買ってきて2か所に株分けして植えつけました。
上の写真がその一つです。
私にとってこれは、3度目の挑戦です。
どんな土になじむのか、1か所失敗してももう1か所で
何とか定着してくれるのではないかと思いました。

においについて、
本にはチョコレートのにおいと書いてありましたが、
私は鈍感なのか、花の数が少ないからかほとんど
感じ取ることができませんでした。


10月2日 金曜日
NHKのあさいちの植物園芸コーナーで、何と奥隆善さんが、出演して
チョコレートコスモスや、他の花を交配してよりよい品種に
育てる楽しさを話していらっしゃいました。

ちょうどこの日が本の返却日で、偶然の一致に少し胸が高鳴りました。
勿論千葉へ出かけた往復の電車の中でこの本を読み切りました。

我が家のチョコレートコスモスは元気です。 



弟が作り上げたメダカの圃場です。


メダカの圃場です3か所あります




2~3年前からこの近くまで猪が出るようになり
せっかく植えた自然薯(山芋)や里芋まで
全部食べられてしまったと嘆いていました。

筍が送られてこなくなったのも2月ごろから猪が「お先に失礼」
と言わんばかりに食べられてしまうとのこと
なかなか人間の口には入りませんね。

メダカの圃場には餌を撒いてくれたので黄金のメダカや
7~8センチのウグイが水面に上がってきてくれました。









サボテンは玄関先や道路にまではみ出し、雨が降ると
軒先に入れるのが大わらわとのこと。
どんどん成長しどんどん種類が増えていきます。

今回、数種類貰ってきました。

長男も帰りにはリュック一杯の野菜と果物を背負わされ、
ちょっと苦笑いです。

弟夫婦の心づくしのもてなしに身も心も満足して帰ってきました。



彼岸花


朝顔の種

シュウメイギク

ザクロとふうせんかづらと朝顔の種

ふうせんかずら


木の洗濯ばさみで作った椅子です お友達の作品です


10月は忙しいですね。
よく咲くすみれの種とつりがね草の種をまきました。

ちゅうりっぷやヒヤシンスの球根を植えなくては

体調を整えて春の花時を夢見てがんばります。









2015年9月6日日曜日

セピア色の写真から


酷暑だったり、台風の影響で風雨にさらされたり、変化の激しい夏休みでしたが、
休暇を楽しまれましたでしょうか。

私は法要があり長男とともに山口県に里帰りしてきました。

山陽本線の海側をゆったり走る電車の窓から海や島が、
山側からは形の変わらない山並みが見え隠れしていました。

法要を済ませ、山陽小野田市の実家の兄の家に落ち着くと
兄から5枚の古い写真を見せられました。
古いアルバムから剥がしたセピア色の写真です。
いづれも初めて見る写真です。 
これらを長男に再生してほしいというのです。

十数年前父のパーレット(カメラの名前)作品集 1~3集を私が持っていて
長男が再生したアルバムを兄や弟二人に贈ったことがありました。
それを覚えていて今回の依頼になったのです。



今回私のデジカメで撮影したものですまだ修正していません


この写真は兵庫県尼崎市に住んでいたころの写真です。

蓄音機を真ん中にして、左側に兄がレコードをもって座わり、
私を抱いた母が、右側に座っています。

この真ん中にある蓄音機の周辺で、後にちょっとしたトラブルが起こりました。

この蓄音機の写真より数年後に起きた出来事とは・・・

弟が、一歳半位の頃、いたづらが激しくなり母が鏡台を
この蓄音機の上に置いたのです。
母が目を離したすきに弟が蓄音機の上によじ登り鏡台につかまった折
下に落としてしまいました。

鏡が割れ、そばにいた私の頭に当たり、額や目から血が流れていました。
母は仰天し、「目をやられた」と思ったそうです。 
 しかし幸いにも額が切れ、5針縫っただけで済みました。

母の鏡台はえんじ色の塗りで、貝の象嵌が、施されたいました。
母は生涯この鏡台を愛用していました。

今までなんとなく思い描いていた蓄音機が、現実に現れて
ちょっとした驚きを感じました。

私の額の傷は今も残っていますが、皺と同化しています。


さて、もう一枚の写真は、兄と私と父の3人の写真です。
今まで、父と一緒の写真は一切見つかりませんでした。
たった一枚の写真です。

いつも兄と私と母を被写体にして、父がシャッターを切っていました。
感動です。

 海水浴に連れて行ってもらい、兄と私が何か堅いものを食べている。
その二人を父が見守っている。その父の横顔が暗くてよく見えません。
 兄が再生して欲しいといった気持ちが、よくわかりました。

この頃は大阪市の住吉区に住んでいました。

機械設計技師だった父は、戦争が激しくなるにつけ、武器の製造と
部下たちの指導に当たり、昼夜の別なく働きました。
ついに肺結核に罹り一家5人で小野田市に帰ってきました。

祖父が一人で住んでいた家に5人が帰ってきて、
まづ食料を何とかしなくてはなりません。
病気の父が、日陰の空き地を開墾し、母と祖父が野菜などを植えました。

父は次第に病床から起き上がることが厳しくなり
とうとう終戦の15日前に他界しました。

そんな訳で、4歳下の弟と、7歳下の弟の写真は一枚もありません。

母と、兄と、私が沢山写っているパーレット写真集や、これらの写真を通して
 父がどれだけ家族を愛していたか、私たちが愛されていたのか、
強く肌で感じ取ることができました。

今回特にこの二枚の写真を見るたびに心が震えるほどの感動を覚えます。



私のデジカメで、セピア色の写真を撮ってみましたが、
海水浴の写真は、長男が再生し、きれいな写真になってから
公表したいと思っています。




お友達に頂いた灯りです。

上の写真と同じ人が作りました。





多肉植物でテラリューム風に















柳井市の白壁の町の金魚提灯で8/13日に金魚提灯祭りがおこなわれました。  





7歳下の弟の奥さんの作品です




弟の奥さんの作品です。貰ってきました。







 暑さ寒さも彼岸までといいますが、早く普通の気候に戻ってくれるといいですね。

 野菜や果物がしっかり実って、おいしい秋が来てほしいです。









2015年8月10日月曜日

おそすぎないうちに・広島 長崎平和記念式典


 8月6日 8時15分

35度を超える連日の猛暑の中広島の
平和記念式典が行われました。




今年はすべての座席の上にテントがはられました。

 広島市長 松井一実さんは

被爆から70年、原爆死没者の追悼と絶対悪である
核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を願うとともに
人類愛と寛容、幸福の追求を掲げられました。
被爆者の平均年齢が80歳を越したことも強調されました。


次に、安倍首相の平和宣言が読まれました。
 
非核三原則(持たず、作らず、持ち込ませず)が
盛り込まれていないことが問題になりました。

※ 長崎では盛り込まれました。


8月9日 11時02分
長崎、平和記念式典が行われました。

長崎市長 田上富久さんは

原子爆弾は戦争の中で生まれ、戦争の中で、使われました。
原子爆弾のすさまじい破壊力を身をもって知った被爆者は、
二度と戦争をしてはならないと強く心に刻みました。
日本憲法における平和の理念は、こうした辛く厳しい経験と、
戦争の反省の中から生まれ、平和国家の道を歩んできました。
平和の理念は、永久に変えてはならない原点です。

現在国会では国の安全保障のあり方を決める
法案の審議が行われています。

70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、
揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。
政府と国会はこの不安と懸念の声にみ耳を傾け
英知を結集し、慎重で、真摯な審議を行うことを求めます。




私は今、こういう局面に接し、ふと、中山真理さん(作詞作曲)の
「おそすぎないうちに」という歌詞を思い出しました。

なくしてしまってから その大切さに 気付いて
くやんだり かなしんだりしても おそすぎるよ
もしかしたら いちばんこの世で 大切なものは
ふだん あまりに 身近すぎて
気にも 留めていないか
今ある全てのものは 当たり前なんかじゃなく
今ある全てのものが 奇跡的にあるとしたら
きみはどうやって それを守るだろう
おそすぎないうちに 間に合う今のうちに
できるかぎりの ことをしよう
生まれて こられたお礼に


この詩はあらゆるシーンに当てはまる詩です。
だからこそ 人を動かす大きな力が働くのだと思います。 


戦争と核兵器のない世界を実現する力は
私たち一人ひとりの中にあるのだと実感しました。

おそすぎないうちに 一歩を踏み出さなければとおもいました。













一番に咲いた朝顔です



風船かずら



のうぜんかずら
 

一枝つまんで挿してみました



黄花コスモス


暑さももう少しの辛抱だと言いつつ、寝苦しい日々ですね。

どうぞお体たいせつに、少し楽をしても

いいのではないでしょうか。

ちょっぴり贅沢をして。暑さを吹き飛ばしましょう。