2015年9月6日日曜日

セピア色の写真から


酷暑だったり、台風の影響で風雨にさらされたり、変化の激しい夏休みでしたが、
休暇を楽しまれましたでしょうか。

私は法要があり長男とともに山口県に里帰りしてきました。

山陽本線の海側をゆったり走る電車の窓から海や島が、
山側からは形の変わらない山並みが見え隠れしていました。

法要を済ませ、山陽小野田市の実家の兄の家に落ち着くと
兄から5枚の古い写真を見せられました。
古いアルバムから剥がしたセピア色の写真です。
いづれも初めて見る写真です。 
これらを長男に再生してほしいというのです。

十数年前父のパーレット(カメラの名前)作品集 1~3集を私が持っていて
長男が再生したアルバムを兄や弟二人に贈ったことがありました。
それを覚えていて今回の依頼になったのです。



今回私のデジカメで撮影したものですまだ修正していません


この写真は兵庫県尼崎市に住んでいたころの写真です。

蓄音機を真ん中にして、左側に兄がレコードをもって座わり、
私を抱いた母が、右側に座っています。

この真ん中にある蓄音機の周辺で、後にちょっとしたトラブルが起こりました。

この蓄音機の写真より数年後に起きた出来事とは・・・

弟が、一歳半位の頃、いたづらが激しくなり母が鏡台を
この蓄音機の上に置いたのです。
母が目を離したすきに弟が蓄音機の上によじ登り鏡台につかまった折
下に落としてしまいました。

鏡が割れ、そばにいた私の頭に当たり、額や目から血が流れていました。
母は仰天し、「目をやられた」と思ったそうです。 
 しかし幸いにも額が切れ、5針縫っただけで済みました。

母の鏡台はえんじ色の塗りで、貝の象嵌が、施されたいました。
母は生涯この鏡台を愛用していました。

今までなんとなく思い描いていた蓄音機が、現実に現れて
ちょっとした驚きを感じました。

私の額の傷は今も残っていますが、皺と同化しています。


さて、もう一枚の写真は、兄と私と父の3人の写真です。
今まで、父と一緒の写真は一切見つかりませんでした。
たった一枚の写真です。

いつも兄と私と母を被写体にして、父がシャッターを切っていました。
感動です。

 海水浴に連れて行ってもらい、兄と私が何か堅いものを食べている。
その二人を父が見守っている。その父の横顔が暗くてよく見えません。
 兄が再生して欲しいといった気持ちが、よくわかりました。

この頃は大阪市の住吉区に住んでいました。

機械設計技師だった父は、戦争が激しくなるにつけ、武器の製造と
部下たちの指導に当たり、昼夜の別なく働きました。
ついに肺結核に罹り一家5人で小野田市に帰ってきました。

祖父が一人で住んでいた家に5人が帰ってきて、
まづ食料を何とかしなくてはなりません。
病気の父が、日陰の空き地を開墾し、母と祖父が野菜などを植えました。

父は次第に病床から起き上がることが厳しくなり
とうとう終戦の15日前に他界しました。

そんな訳で、4歳下の弟と、7歳下の弟の写真は一枚もありません。

母と、兄と、私が沢山写っているパーレット写真集や、これらの写真を通して
 父がどれだけ家族を愛していたか、私たちが愛されていたのか、
強く肌で感じ取ることができました。

今回特にこの二枚の写真を見るたびに心が震えるほどの感動を覚えます。



私のデジカメで、セピア色の写真を撮ってみましたが、
海水浴の写真は、長男が再生し、きれいな写真になってから
公表したいと思っています。




お友達に頂いた灯りです。

上の写真と同じ人が作りました。





多肉植物でテラリューム風に















柳井市の白壁の町の金魚提灯で8/13日に金魚提灯祭りがおこなわれました。  





7歳下の弟の奥さんの作品です




弟の奥さんの作品です。貰ってきました。







 暑さ寒さも彼岸までといいますが、早く普通の気候に戻ってくれるといいですね。

 野菜や果物がしっかり実って、おいしい秋が来てほしいです。









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