2013年8月13日火曜日

広島・長崎平和記念式典と原爆・原発の詩

 2013年8月6日 広島市で被爆後68年目の平和記念式典が行われました。

ルース駐日大使・オリバー・ストーン映画監督(プラトーンの製作者)
福島県浪江町から馬場町長が出席されました。
鐘の鳴り響く中1分間の黙とうを捧げました。

松井一実 広島市長による平和宣言です。
無差別に罪のない多くの市民の命を奪い人々の人生をも一変させ、
また終生にわたり心身を苛み続ける原爆は非人道兵器の極みであり
「絶対悪」です。
威嚇によって国の安全を守り続けることができると思っているのですか。
「絶対悪」である核兵器の廃絶と、平和な世界の実現に向け
力を尽くすことを誓います。 

 身の引き締まる思いでした。

 
浦上天主堂(焼け残った建物)
 
8月9日長崎で平和記念式典が行われました。

合唱から始まりました。
長崎の鐘が鳴り響く・・・名簿が納められる・・・献水が行われる
11時2分 1分間の黙とうを捧げる。

田上富久 長崎市長による平和宣言です。

 今年4月ジュネーブで開催された 核不拡散条約(NPT)で提出された
核兵器の非人道性を訴える共同声明に80カ国が賛同し、
南アフリカなどの提案国は日本にも賛同の署名を求めました。
しかし、日本政府は署名せず世界の期待を裏切りました。
インドの原子力協定交渉の再開についても同じです。
日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。

2009年4月 オバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」を
目指す決意を示しました。

東電福島第一原発の事故は未だ終息せず、
放射能の被害は拡大しています。
多くの方々が、平穏な日々を突然奪われたうえ、見通しが立たない
暮らしを強いられています。

日本政府は国際社会の先頭に立って、核兵器の廃絶に取り組み
世界との約束を果たすべきです。


むくげ

 私の通っている図書館では8月の展示が、黒塗りの教科書が数冊と
小学生向けの絵本や写真集などが、ありました。

その中の1冊・・・・・原爆入門写真詩集
「たった一発の原子爆弾で広島20万人長崎10万人が死んだ」を読みました。
小学生、中学生の詩が20数編きのこ雲の写真や、古びた材木のように
転がっている男の子の遺体の写真などが挿入されていました。
そして最後に  原爆詩集序 峠三吉さんの

       にんげんをかえせ
       へいわをかえせ

が編まれていました。

詩集女性85詩人より
生ましめんかな…原子爆弾秘話

8月6日 原爆投下 壊れたビルの地下室の夜
ローソク1本ない暗がりの中、負傷者でいっぱいだった
その中から「赤ん坊が生まれる」という声が聞こえてきた。
「私が産婆です、私が生ませましょう」と言ったのはさっきまで
うごめいていた重傷者だ
くらがりの地獄の底で新しい命は生まれた
あかつきを待たず産婆は血まみれのままで死んだ
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも

この詩集の選者の評…
   死にゆく者の気高さと生まれ来る者へ託した希を描いて
   大量破壊兵器の非人間性をこの詩はこれ以上ないくらいに
   際立たせている。

(私の母は産婆でした母体と新生児の二人の命をあずかり
産声を聞く感動を話していたのを思い出します。
母が亡くなって12年になります)



原発難民の詩・・・・・佐藤紫華子・・・・・朝日新聞社

原発難民
 追いかけてくる放射能
行く手を阻む線量
私たちは安住の地を求めて
どこまで、いつまで
さすらうのだろう

いづこに
 なぜここに、どうしてここに
台所に立てば流れてくる涙
涙でお湯は
沸かせぬものを

胸に迫る作品ばかりです。
台所に立っても涙・涙  あらゆることが手につかない
そんな思いが伝わってきます。
つゆ草の写真が表紙を飾っていました。

原発は人災だと思います。
原発は廃止することが可能です。

8月は平和への思いが一段と強くなる月ですね。



風船かずら



琉球宿根あさがおを1本植えたのですが、桔梗咲き朝顔や
風船かずらなどを押しのけて、勢力を伸ばしました。
一つの枝に10輪ぐらい蕾を付けるのですが、実際に咲くのは5輪くらいです。
一度に4輪咲いたのには驚きでした。
8月11日の朝6時30分ごろヴェランダで見たのですが、何と、
しぼみかけていたのです。
あまりの暑さに朝顔の体内時計が狂ったのではないかという人もいました。

熱中症に負けないで、暑さを凌いでいきたものですね。



 

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