2012年8月31日金曜日

金沢・能登半島ドライブ日記


 
8月15~17日と2泊3日で、金沢・能登半島方面へドライブすることになった。
 

 1日目
レンタカーを借り、高崎から関越自動車道に乗り休憩をとりながらひたすら走る。
湯沢スキー場周辺のなだらかな丘にはおしゃれな家が並び、
一面の黄緑の田んぼには稲穂が風になびいている。

 
 
新潟に入る手前は長い長いトンネルを何本も通り抜ける。
  子不知トンネル・・・4,560m
  親不知トンネル・・・2,270m

途中、水没森林美術館へ立ち寄り金沢駅へ向かった。
ホテルで、しばらく休憩し、食事処(台場)へ。

なんと、2年前に案内された同じ席に通されびっくり。
ジョッキで乾杯!しゃれたおつまみで満足感を味わう。


  2日目
伝統産業工芸館は休館で、石川県立美術館へ入館。
九谷焼は有田焼の影響が色濃く反映されていることを実感する。
ここでは、田中一村展が開かれており充分時間をかけて鑑賞する。

能登半島へ向かう
途中なぎさドライブウエイに降りる。
沢山の車が止まっている。バスもやってきた。

 
 
 能登金剛・やせの断崖でシャッターを切る。美しい海だが、さびれた観光地になっている。
今夜の宿は七尾だ。半島を横断する。
時間をみて、能登島へ渡る。

ガラス工房があり、展示販売をしている。丘にはガラスのオブジェが展示されていた。
美しい橋を渡り、七尾のホテルに向かう。

今夜の食事はどこにするかな、長男は、インターネットで検索中だ。
靴を脱いで休憩する。


  3日目
8時から開かれるという輪島の朝市に向かう。
暑い。カンカン照りだ。遠慮しながらおばあさんのお店を撮らせてもらう。

 
 

 

L字型に並んだお店はほとんどが輪島塗だ。
長男が、「汁椀を新しくしようか」というのでお箸も一緒に買い求める。
雑貨のお店には浮玉もあった。

1~2か月前3.11の津波のごみが大量にアメリカの西海岸に漂着したという
ニュースが報じられた。
長男がオレゴンのお友達に「ごめんなさい」とメールをするとゴミの中に
漁に使う浮玉が沢山流れ着き「喜んで拾い集めている」と返事が来た来たそうだ。
インテリアにするらしい。



少し足をのばして、白米(しらよね)の千枚田を見に行く。
美しい海の青さとの対比が素晴らしい。

 

Uターンし、北陸道に乗り一路高崎へ。
どうやら、富岡製糸場の見学ができそうだ。
団体客が2~3組見学している。

世界遺産登録へのポスターが貼ってあった。

 
 
雲行きがあやしくなってきた。
稲光が走る。間もなく豪雨になる。スピードを落としてと何度も声をかける。
慎重に走りながら高崎駅へ到着。車を返却し電車に乗る。
パソコンに取り込んだ写真を見ながら駅への到着を待つ。

 


2012年8月7日火曜日

平和への祈りと鎮魂と


 2012年8月6日は広島67年目の原爆の日でした。
8時15分鳴り響く平和の鐘の中1分間の黙とうが捧げられました。
私もテレビの画面に向かって手を合わせました。

松井一実 広島市長の平和宣言は公募で選んだ3人の被爆者の体験を引用され、
一瞬にして人の命も、家も、田畑も奪ってしまう恐怖と、
残された遺体を運ぶ辛さなどが語られました。

核兵器の廃絶、

福島原発に事故に関してはエネルギー政策の早期確立をと言及されました。

黒い雨の問題では、援護を受けられる地域の拡大を求められました。

そして、恒久平和の実現に世界中が向かっていかなければならないと
訴えられました。

野田総理、福島県浪江町の馬場有町長も参列されました。






私の父は山口県小野田市で、終戦の15日前(7月31日)に他界しました。
技術者であった父は、大阪で昼夜を問わず働き、肺結核に罹り故郷に帰りました。
食糧難の時代でした。

8月6日の広島の平和への祈りと、8月15日の終戦の日の祈りは
父への祈りと重なっています。

今ロンドンでは平和の祭典であるオリンピックの後半戦に入りました。
100メートル男子に、 ウサイン・ボルトさんが2度目の金メダルを獲得、
日本チームも銀メダル・銅メダルのラッシュです。

戦争のない世界・核のない世界
一人一人の命が公平に尊重される世界であって欲しいと願わずにはいられません。