2014年10月2日木曜日

彼岸花と風船かずらなど・・・


今年も季節を感知して鮮やかな花を咲かせてくれました。



真上から撮ってみました

 今から30~40年前
 

野原チャックさんのエッセイに風船かずらのお話がありました。

夏の日差しの中、風船かずらの垣根の向こうを少年が通りすぎる・・・
緩やかな時間の流れと、少女ではなく少年であることに少しひかれました。

風船がずらの袋の中は3つの小部屋があって、小さな黒い種が一つづつ
入っているのでですが、そのちいさな種には白いハートがスタンプされています。

この時この事を知って、風船かずらの苗を植え、実った種を
開いて見たときの感動はひとしおでした。


 
 
画像が小さくてわかりにくいですね


夏の名残りの花たちです




コリウスが色鮮やか
 
 
多肉植物

多肉植物 影法師

お蕎麦屋さんの鉢植えです。道路際に置いてありました。




るりまつり です。秋になってブルー色が鮮やかになってきました。
冬に入っても次々に咲く息の長い花です。

自然が作り出す 不思議と芸術性に感動と感謝の念を捧げます。






2014年9月8日月曜日

手作りの陶芸作品灯り


お友達に戴いた灯りです
大変ユニークな作品ばかりで教わることが多いです。
最近の作品はもっと素敵です。



上の作品を室内の灯りを消して撮影しました


左の作品はお友だちに教わりながら作りました



それぞれの個性が出て面白いですね。
左の灯りは形と質感が気に入っています。









今夜は中秋の名月ですね。


秋の夜長、月見に一杯。
読書も楽しみたいと思います。







 

2014年8月12日火曜日

戦中・戦後の食糧事情とアメリカひじき


夾竹桃 原爆の花といわれる

1944年3月、大阪に住んでいた一家5人(父・母・兄・私・弟)は
山口県小野田市の父の実家に疎開として帰ってきました。
父は、お国のために日夜働きづめで肺結核を患い
会社を辞めることになったからでした。
食糧の配給は少なく遅配があったりで仕方なく、
父は病を押して日蔭の空き地を開墾しました。

庭にもさつまいもやかぼちゃを植え、屋根に這わせていました。
蒸したさつまいもだけの昼食もあり、さつまいもの茎も食べました。

9月に弟が 生まれました。

45年 挙国草刈り運動が発令され、私たちも学校から
草刈りの宿題が出されました。
包丁も鎌も持ったことがない私は、左人差し指のつけ根を切って
しまいました。祖父が手伝ってくれて、その宿題を果たすことができました。
今もその傷はくっきりと残っています。
学校の校庭も畑になり、多分その草はたい肥に
なったのだろうとおもいます。

おしろい花


 また、秋口には、いなご取りで、学校からたんぼに出向、
班ごとに競ってとるのですが私は全く苦手でした。
友達に睨まれて小さくなっていました。

そのいなご入り草入り塩団子が配給(有料)となり5個注文していたのですが、
持って帰る途中1個減り、時にはもっと減っていたかも・・・
とても誘惑に勝てませんでした。

配給の食糧の中に、お米(玄米)・押し麦・大豆かす(油を絞り取った潰れた大豆)
コウリャンなどもありました。

米は精米して白米にすると量が減ってしまうので、
玄米や5分つき米が配給されました。

我が家でも1升瓶にお米を入れて竹の棒でつついて精米していました。
そのそばでたばこ巻き器で、たばこを巻いていました。
紙とたばこを刻んだものが配給され、自宅で巻くのです。
興味深く見ていました。

1升瓶の精米と、たばこ巻きはセットになって記憶が蘇えってきます。

戦火が隣の街に及び、父の病は悪化の一途をたどりました。
45年には起き上がることができなくなっていました。
栄養をとらなければいけない体に充分な食糧はなく
時折父の食事を運んで行くと、鶏肉を一切れ私の口に入れてくれました。

父の最後の晩餐ともいえるリクエストは「お餅が食べたい」と
云うことだったらしく、母はもち米を蒸してすり鉢ですってお餅を作っていました。



父は体調のいい時は縁側で長い日本刀を日にかざし
手入れをしていました。
赤い布のたんぽんでポンポンと叩いていました。
とても威厳がありました。

7月31日 とうとう父の命は終わってしまいました。
私と弟は親せきの家にもらい風呂に行き、夕日を浴びながら
手をつないで家に帰りました。

辺り一面消毒液の匂いが立ち込めていました。
敗戦の15日前の事です。
後に敗戦を知らずに亡くなった父を、それで良かったのだと
大人たちは云い合っていました。


1945年(昭和20年)8月15日  敗戦

日本は敗戦国としてGHQ(連合国)の支配下に置かれました。
MPの腕章をつけた大男の米兵がジープに乗ってあちこちに現れました。

山陽本線の小野田駅近くの踏切で、列車のデッキからチョコレートや
チューインガムを投げる米兵とそれに群がる子供たち、
ギブ・ミー・チョコレート  ギブ・ミー・チュウインガム 
そんなことばも覚えました。

配給のみで暮らしていた判事が栄養失調で亡くなるという
出来事がありました。

1946年5月19日 食糧メーデーが起こりました。
25万人の人々が、食糧を求めて皇居前広場でデモを行いました。

1946年 GHQが捕鯨船の出漁を許可
大切な蛋白源でした。
赤身を塩漬けにした塩鯨、鯨油も配給になりました。
匂いが強く好きになれませんでした。

冷酒用グラス・からし・胡椒入れ


1946年 輸入食料の第一船が、小麦粉1000t を積んで
東京港に到着しました。

ララ「アジア救援公認団体」による救援物資です。

ララはアメリカ合衆国救済統制委員会が1946年6月に
設置を許可した日本向け援助団体。
1946年1月22日 サンフランシスコ在住の日系人
浅野七之助が中心となって設立した。「日本難民救済会」を母体としている。
反日感情が残る中での「アジア救済公認団体」認可に際しては、
知日派のキリスト教友の会員の協力によるところが大きい。

支援物資は1946年11月から1952年6月まで行われ
重量にして3300万ポンド余の物資と乳牛や2000頭を超える山羊などもあり
全体の割合は

食糧・・・・・75.3%
衣料・・・・・19.7%
医薬品・・・0.5%
その他・・・4.4%    となった。

多数の国にまたがり、多くの民間人、多くの民間団体からの
資金や物資の提供があったためその救援総額は不明であるが、
推定で当時の400億円という莫大な金額であったと言われている。
南アメリカ大陸在住の日系人が寄付の中心であったが、
日本国内での物資配布に当たっては連合軍最高司令官総司令部の
意向により日系人の関与について秘匿されアメリカからの
援助物資として配布された。





救援物資の小麦粉でだんご汁(すいとん)を作り、嫌になるほど食べました。
子ども心に最もおいしいと思ったのはピーナツバターで、
大きな缶に入っていました。自然な甘さと香り、濃厚なこく、初めての味でした。


野坂昭如さんのアメリカひじき(42年作)

私の中で一見笑い話のように残り深く沈んでいる、
アメリカひじきの部分ですが

8月15日 玉音放送後夕暮の空から落下傘が沢山降ってくるのを見た。
捕虜用に落下した物資だったが、多量のため日本兵によって町内に
秘密裡に分配されて食料品を貰えることになった。
中身はチョコ・ガム・チーズ・ジャム・ベーコン・ハムなどびっしり分配された。
宝物の中に掌山盛りほどの黒いちぢれた糸くずのようなものがあったが、
見当がつかなかった。近所のおばさんに「ひじきに似てるわ」といわれ
煮てみると水が赤茶に変わった。「アメリカひじきはアクが強いわね」と
何回も水を替えて岩塩で味付けした。
ものすごくまずかったがひもじかったので、捨てることもできなかった。
3日後兵隊から聞いてきた町会長がアメリカひじきが
「ブラックテー」(紅茶の葉)だと教えてくれた時には
アメリカひじきは残っていなかった。

これは作品のほんの一部にすぎません。
闇市作家と言われたこともある野坂さんの戦中戦後のさまざまな思いが
ぎっしり詰まった作品だとおもいます。


香水瓶と小さな花瓶


46年  学校給食が開始されました。
初めての給食は脱脂粉乳とトマトシチューだったそうですが、
私たちのところにはなかなか届きませんでした。
脱脂粉乳だけは飲んだ記憶があります。

衣類も魚も配給制で一軒のお宅の前で品物を分け、
時に籤引ききがありました。運が良かった記憶があります。


最後に、こんなエピソードを見つけました。

1950年  ミス日本 第1回コンテストが行われました。
 
発足時ララ物資への感謝とお礼及び日米親善を目的として設立されました。

第1回ミス日本 優勝者は 山本富士子さんでした。



あらゆるものが乏しい時代に 祖父と4人の子供を抱え
何とか命を守り続けた母、強く強く生きなければと
自分自身を奮い立たせて生きてきた母を誇りに思います。


二度と戦争が起こらない・起こさない国であり続けて欲しいと
願ってやみません。











2014年7月21日月曜日

芥川賞雑感・お詫びと訂正


名残のあじさいです。


7月17日(木) 第151回 直木賞・芥川賞の発表がありました。

直木賞は  黒川博行さん 「破門」
        デビューから30年候補者に上がって6度目の受賞だそうです。

芥川賞は  柴崎友香さん 「春の庭」
        候補者に上って4度目の受賞だそうです。


実は2週間前にたまたま目にした 「芥川賞物語」 川口則弘著を
図書館から借りてきて読んでいました。
今までそれほど強い関心はなかったのですが、
今回どなたが授賞されるのか楽しみでした。

芥川龍之介賞は1934年(昭和9年)に文芸春秋社の社主
菊池寛が発案し、同社の佐佐木茂宗専務以下
社員たちの手によってつくられました。

子育て時代、芥川賞作家の受賞作を最初から
読んでみようと思い立ち

「蒼氓」 石川達三  「厚物咲」 中山義秀  「青果の市」 芝木好子
「驟雨」 吉行淳之介  「深い河」 田久保英夫  
「ベティさんの庭」 山本道子さんなど読みました。

そのうち重箱の隅をつつくような細かい描写が嫌になり
受賞作を追うのはやめました。

百日紅

大江健三郎さんの「飼育」は特別な思いがあって読みました。

母が再婚した家の二男が、東京大学のフランス文学科を専攻し
大江健三郎さんと同席し学んでいる事を帰省した折に話してくれました。
キャンパス内で当時流行していた「山男の歌」を教えてもらいました。
私は高校生でした。
アンドレ・ジイドの「狭き門」は何を差しているのか(宗教の門)
の質問に答えてもらったり、当時読んでいたドストエフスキーの
「罪と罰」に挫折しそうだというと「最後まで読むことが大切だ」
など読書のアドバイスをもらったり、東京の空気を
持ち帰ってくれることが楽しみでした。

田端の文士村の催しで文学のお話を聞く機会があり
室生朝子さんと重兼芳子さんにお会いしました。
重兼芳子さんの「やまあいの煙」は81回の受賞作です。

朝日カルチャーセンターの小説講座に通って学ばれました。

講座の後、重兼さんにサインをお願いすると、
「私でいいのですか」と言われ気さくに書いてくださいました。

今も手帳は大切にしまってあります。

ブルーベリー


子どもたちが成長し、就職してからは家事に追われ
時間がとりにくかったのですが
受賞作家では 井上靖・庄野潤三・遠藤周作・開高健・
津村節子・新井満・宮本輝さんなどの作品を読みました。

今読んでいるのは「爪と目」藤野可織(受賞作)
     「うたかた/サンクチュアリ」 吉本バナナ さんです。
      


芥川賞物語を読んでいると、選考者の移り変わり、
候補作の時代背景など興味がわいてきます。
候補4度目の方の受賞が多いこと、また
島田雅彦さんは受賞しないで、選考委員になられました。

    

    読書は本当にいいものですね。

宇部市から届きました

山口市から届きました

お詫びと訂正です。

6月10日に公開しました「花子とアンと昭和のベストセラー」
ですが、ドラマの最初に大震災が起こり、こどもと英和辞典を
抱えて脱出すると書きました。これは間違いでした。

今日、7月21日 花子とアンの総集編を見ていて気がつきました。
すぐインターネットで調べました。

最初のシーンは昭和20年4月の東京大空襲の最中
花子は命より大切な翻訳中の「赤毛のアンの原書」を
懐に抱え子どもたちを連れて戦火の中を逃げまどっていた。
というのが正しいしいストーリーです。

また英和辞典も間違いで、英英辞典でした。

訂正してお詫びします。










いつもこんな感じでごたごたしています。

ではまた・・・・・暑さに負けないで。



2014年6月28日土曜日

ガーデニングとぎっくり腰




 くんし蘭の花が終わって5月に植え替えたのだが、どうも元気がない。
小雨が降る肌寒いベランダで、5鉢の植え替えをすることにした。
葉を欠いたり、用土を取り換えたりベランダいっぱいに広げた。
中腰で斜め右に手を伸ばした時、ほんの少し腰に違和感を覚えた。
「やっちゃったかな」と思いながら作業を続けた。痛みは増してくる。

過去魔女の一撃で、呼吸もできないほどの痛みに2~3度襲われたことがある。
昨年も腰痛と膝痛に悩まされブロック注射・リハビリ・マッサージなど
整形外科に通っていた。

今年初めて挑戦したかすみ草

そんな時、五木寛之さんのエッセイ『心の天気図』を読んだ。
開いた最初のページに『膝を屈すること』が載っていた。

二足直立歩行を始めた時から人間は腰痛を宿命付けられている。
腰痛に完治はない。手術をしようが、牽引をしようが、鍼灸に頼ろうが、
気功、カイロ療法を選ぼうが、腰痛を根本からとり去ることはできない。

出来ることは一つ腰痛を出さないように飼い慣らして、生きることだけだろう。

ヒントは「膝は曲げるためにある」という古人の言葉である。
腰は折るが、曲げない。膝はできるだけ深く屈する。
魔女の一撃も、日常の困難も、膝を屈してやり過ごすしかないのだ、とあった。


お隣から山形のサクランボを頂きました

しかし、腰痛が治まると、膝をかばっていつの間にか
膝を深く曲げることが、おざなりになっていた。

今回2~3日寝込んでしまったが、1週間で腰痛は治った。

動きが取れなくなった数日は、テレビを見るか本を読むしか選択肢はない。
図書館で借りてきた本の中に

芝木好子さんの短編集『奈良の里』があった。
1988年の作品で、東京の街の片隅や、川の流れ、風のおとずれなど
東京の風物詩が描かれている。しっとりとした心地よさが伝わってくる。

芝木好子さんの長編小説『ガラスの壁は』女性のガラス彫刻家が主人公で
読み進むにつれ、スイスのサンモリッツが舞台になっていく。

スイスは10年前、退職した直後初めての海外旅行に訪れた場所だ。
旅慣れたお友達が細かく面倒をみてくれた。
手持ちのパンフレットを持ってきてくれたり、
外貨の交換に立ち会ってくれたりした。

そのお友達が今、スイスに行っている。
グリンデルワルトを中心に、2週間の旅だ。
私も同行したかったのだが、2週間家を空けることが難しく断念した。

その彼女が今、どんな風景と出会い、どんなものを食べ、
どんな出会いをしているのか・・・・・どんどん想像が広がった。

本と旅の思い出と、お友達の旅
サンモリッツには行ったことはないのだが、いろんなことがからみあって、
スイス旅行をしているかのような思いだった。





額アジサイ


整形外科の医師から「ガーデニングはもう終わったの」と聞かれた。
「延々と続きます」というと「ぼちぼちやってください」とのこと。

ゆっくり読書を楽しむことができたのは、不幸中の幸いだった。

今度こそ膝を深く屈することを身につけようと強く思った。


手前の黄色い器は植木鉢です
 
 
 
 
 








2014年6月7日土曜日

花子とアンと昭和のベストセラー


ペチュニアの切り戻しと紫欄


NHKの朝のドラマ[花子とアンは]大変な人気ですね。
初日から引き付けられ、一日に二回 みることもあります。
5月の視聴率は21.8%(関東)だそうです。

このドラマの原作は「アンのゆりかご」赤毛のアンの翻訳者
村岡花子さんの生涯を描かれたお孫さんの村岡恵理さんですね。

先日「赤毛のアン」をテーマにしたシンポジュームが甲府で開かれました。
恵理さんは

花子が、関東大震災で被災した。幼い息子を亡くした。と説明され
その死を受け入れ立ち直った。
「本当の再生」から日本の子供たちに上質な家庭文学を届けようと
翻訳に取り組んだことを話されました。

  朝日新聞のネット版で読みました。

ドラマの大震災が起こり、子どもと、英和辞典を抱えて脱出する、このシーンに
沢山のメッセージが込められていた事を感じました。

また、 連さまの暮らしを訪ねて、福岡県飯塚市にある炭鉱王
伊藤伝右衛門の旧宅が、人気を呼んでいるそうで、国名勝の日本庭園と
妻で歌人の柳原白蓮の部屋が残る大邸宅で、現在は市が所有している。

5月はドラマ効果で、前年の3倍の 3000人が訪れたそうです。


カナダの作家 ルーシー・モードモンゴメリー作、村岡花子訳
「赤毛のアン」はそばかすだらけで、赤い髪の女の子。
想像力豊かで、お喋り好き、生後3カ月で、両親を病気で亡くし
孤児院や子沢山の家庭に引き取られ、子守として働き大学を卒業します。
プリンスエドワード島の美しい自然の中で、感受性豊かに育っていきます。

私は少女時代に読んだのですが、読後のフレッシュなすがすがしい感覚は
今も懐かしく思いだすことができます。

余談ですが、旅行会社のプリンスエドワード島ツアーも大人気だそうで、
6月上旬~下旬までルピナスの花ざかりのようです。


シュガーパインの花

うつぎ



お話変わって
昭和のベストセラーランキングです。 メールマガジンで見ました。

30代~60代の男女
    1位  砂の器
    2位  日本沈没
    3位  雪国

男性のトップは
    1位  日本沈没
    2位  雪国
    2位  砂の器

女性のトップは
    窓ぎわのトットちゃん 
    砂の器
    怪人二十面相

年代別  30代・40代 怪人二十面相
       50代    日本沈没
       60代    竜馬がゆく

好きな作家のトップは
    司馬遼太郎
    東野圭吾
    宮部みゆき
  

みんなが最近読んだ本は
    謎解きはディナーのあとで   東川篤哉
    舟を編む              三浦しおん
    虚像の道化師           東野圭吾

好きな日本の文豪ランキング
    1位  夏目漱石
    2位  芥川龍之介
    3位  山本周五郎
    4位  大宰治
    5位  川端康成

本を読まない理由
    時間がない
    インターネットのほうが面白いから
    読みたい本がない
    テレビのほうが面白いから


本を読みたいと思う時はゆったりしたいと思う時ですね
映画化されている原作の面白さは格別ですね
限定されたイメージを想像力(自分の)が
はるかに超えることを実感します。

本を読む楽しみは一人一人のものですが、同時に
共同の経験をつくりだすもので、 その経験の上に
新しいものを積み重ねていくことができ、
感受性をより豊かに広げていくことができるのではないかと思います。

私にとって読書は心の中に育む宝物のようなものだと思います。



5年前弟にもらったサボテンが初めてさきました



多肉植物の寄せ植え
 
グリーンネックレス



2014年5月17日土曜日

あしかが藤の花とモネフィラの丘散策


5月4日  女性3人のグループでツアーに参加。池袋を7:00に出発。
      前日の悪天候はさらりと解消されて、好天に恵まれる。

10:30分 足利フラワーパークに到着。
      予約しておいたお弁当を受け取って中に入る。

      
  
 
 
白い藤の花が出迎えてくれる。さわやかな香りが一面にたちこめている。
 
ペチュニア

大藤

ぶどうの房のような八重咲き
 

 
白のふじの壁 世界有数の美しさを誇るふじのカーテンは圧巻だった。
 
おべんとうを持って散策するのは不自由なので、
11時過ぎにお弁当を食べる。
 
黄色いふじのアーチをくぐる。広い園内で、
次々に現れるアレンジに感嘆する。
 
 
12:30分 国立ひたち海浜公園に向かって出発する。
 
 
高速道路を下り一般道に入ると渋滞が続く。
ひたち海浜公園に到着したのが、4:00
 
公園が閉まるのが、5:00 1時間しかない。
1時間で戻ってくるように…という添乗員さんの説明を聞いて、
エエ・・・・・
 
バスを降りて入口に向かっていると、同じ会社の女性添乗員さんが、
閉館が6:00に変更されたと教えてくださった。
 
我がツアーの男性添乗員さんは、急いで入場券の購入に走っている。
 
入園したもののネモフィラらしき丘は見つからない。
地図を見ても方向がよく解らない。 園内の係りの人に聞いてみる。
とにかく最初にネモフィラを見なくっちゃ。
教えられた方向を目指して急ぎ足になる。
 
 
 
 
 
450万本のネモフィラで、広大な丘一面がライトブルーに染まっている。
 
ウワーすばらしい!!
初めてみる光景に言葉を失う。
 
 


 
 
 
30万本のチューリップも何とか美しさを残している。
 
 
6:00 バスは公園を後にする。
 
夕日が樹間からさし込みバスを染めている。
 
帰路も渋滞続きだった。
 
サービスステーションでの休憩も短く、
レジに並ぶ時間がない。3個入りの草もちを買い、1人1個づつ分ける。
自動販売機でコーヒーをゲット。これが夕飯よと、いいきかせる。
 
 
11:30 我が家にたどり着く。
 
足がむくんで、パンパンになっている。
身体は疲れたけれど心は満たされていた。
 
楽しい花の旅だった。