2015年11月24日火曜日

極上の時間いい時間・詩の力


 久しぶりに図書館へ行って詩集を2冊借りてきました。

  すこやかに おだやかに しなやかに
     谷川俊太郎 著  佼成出版社
        平成18年1月30日 初版

小冊子ですが全12編で活字も大きく、漢字にはルビが振ってあります。
次のぺーじには花や空など、美しい写真が挿入されています。
その一つ

       いのちの輪

   暴力を前にして
   おののきふるえぬものはいない
   私たちは死をおそれる
   私たちはみな生を愛する

   幸せを求めているものを傷つけて
   幸せになれるだろうか

   なぐればなぐり返される
   刺せば刺し返される
   撃てば撃ち返される
   殺せばあなたも殺される

   あなたのいのちはつながっている
   他のすべてのいのちと


この詩を読んで、いま世界中を動かしている13日の
パリ同時多発テロ事件を思いおこしました。

そして、このとき妻を失いながらテロリストに向けて
フェイスブック上に 「憎しみという贈り物はあげない」と
手紙をつづったパリ在住のフランス人ジャーナリスト
アントワーヌ・レリスさんの言葉です。

   君たちに憎しみという贈り物はあげない
   君たちの望み通りに怒りで応じることは
   君たちと同じ無知に屈することになる

20日、朝日新聞の 単独取材に応じられたアントワーヌさんは

世界中に広がる反響に私のほうが圧倒されている
人々はあの手紙に新しいものを見い出したわけではない
平和や愛、寛容の中で自由に生きたいという思いを
呼び起こされたのだと思う

と話された。

谷川俊太郎さんの詩も、そして私たちの心にある希いも
同質の思いであることを強く身内に感じることができたのです。











もう1冊は

  詩に就いて
     谷川俊太郎 著  思潮社
        発行日 2015年4月30日

見開きの最初の1編です

     隙間

  チェーホフの短編集が
  テラスの白木の卓上に載っている
  そこになにやらうっすら漂っているもの
  どうやら詩の靄らしい
  妙な話だ
  チェーホフは散文を書いているのに
  
  山の麓の木立へ子どもたちが駆けて行く

  私たちはこうして生きているのだ
  心配事を抱えながら
  束の間幸せになりながら

  大きな物語の中に小さな物語が
  入れ子になっているこの世
  その隙間に詩は忍びこむ
  日常の些事に紛れて

 
  あとがき
 
   日本語の詩という語には、
   言葉になった詩作品(ポエム)と、言葉になっていない 
   詩情(ポエジー)という二つの意味があって、
   それを混同して使われる場合が多い。
   それが便利なこともあるが、混乱を生むこともある。
    詩を書き始めた十代の終わりから、私は詩という
   言語活動を十全に信じていなかった。
   そのせいで詩を対象にして詩を書くことも少なくなかった。
   本来は散文で論じるべきことを詩で書くのは、
   詩が散文では論じきれない部分をもつことに、
   うすうす気づいていたからだろう。
    詩も人間の活動である以上、詩以外のもろもろと
   無関係ではいられない。詩を生き生きさせるのは、
   言葉そのものであるとともに、無限な細部に恵まれた
   そのもろもろなのではないだろうか。


私は全く詩を書く能力はありません。
しかし詩情(ポエジー)は抱くことができると思っています。
年を重ねるにしたがって、直接的に表現されるエッセイや
散文よりも、詩に惹かれるようになりました。

そして、心に響く珠玉の言葉に励まされて、落ちこんだ心を
立て直す、詩は精神安定剤になったりもしています。


ベランダに寄せ植えを作ってみました



アイビーや多肉植物です


多肉植物の寄せ植えです

 
チェリーセージとるりまつり


寒さに向かいます。お元気でお過ごしくださいませ。